導入:ポータブル機器に潜む「電気的ノイズの海」
前章までで、イヤホン側の時間軸の正確性が、ドライバーや音響的な密閉によって決まることを学びました。しかし、これらのドライバーに送られる電気信号自体が汚染されていれば、いかに優れたイヤホンでも真価は発揮されません。
ポータブルオーディオの音質を根本から脅かす最大の敵は、スマートフォンやPCから供給される USB 電源に紛れ込む高周波ノイズです。このノイズは、ポータブルヘッドフォンアンプ(ポタアン)の中心部である DAC(デジタル・アナログ変換チップ)のクロック(時間軸の根幹)を揺るがし、音像を決定的に曖昧にします。
本章では、あらゆるポータブル環境において、ポタアンがいかにこのノイズに満ちた環境から「電気的な分離」を達成し、時間軸の安定性を守っているのかという「分離の哲学」を解き明かします。
I. ノイズの普遍的な侵入経路:全ての利用形態に関わる問題
ノイズの脅威は、高価な外付け を使うユーザーだけでなく、スマートフォンで直接音楽を聴いている全ての人に関わる、普遍的な問題です。
1. ⚡️ スマートフォン直差し(3.5mm 端子)の場合
イヤホン端子に直接イヤホンを接続している場合、音を生成するのはスマートフォンに内蔵された チップです。
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問題の核心: スマートフォンの チップは、 や / 通信チップと基板上で物理的に近接しています。これらのデジタル回路から発生する高周波ノイズは、 の電源や (基準電位)に電磁誘導などによって侵入します。
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影響: 内蔵 のクロック安定性がホスト機器の動作に左右されるため、例えば通信時やアプリ動作時の高負荷が、そのまま音質(時間軸の正確性)の低下に直結します。
2. 🔌 USB-C イヤホン/外付け ポタアン の場合
- 端子に接続するイヤホンや外付けのポタアン(USB-DAC/アンプ)の場合、問題は ケーブルを介して入るノイズに集中します。
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内蔵 の汚染: イヤホンは、スマートフォンからの 5V 電源に乗り込んだ高周波ノイズによって チップが直接汚染されます。
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GND ノイズ(基準電位の揺らぎ): ケーブルを介して接続されたデバイス間では、ホスト機器の動作ノイズが ラインに流入し、音像の安定性と背景の静寂性を決定的に損ないます。
II. 🛡️ ノイズからの分離哲学:時間軸の安定性を守る技術
この電気的ノイズの脅威に対し、ノイズ源からの「分離」こそが、ポータブルオーディオ機器の設計哲学となります。
1. バッテリー駆動 DAP の究極の分離と限界
DAP(デジタルオーディオプレーヤー)は、外部ノイズ源から電気的に完全に分離されるのが最大の強みです。
しかし、 内部にも やディスプレイ駆動回路といった強力なデジタルノイズ源が存在します。ハイエンド の設計思想は、この内蔵ノイズからオーディオ回路を「分離」することにあります。
2. 👑 ハイエンド DAP が講じるノイズ対策

ハイエンド は、時間軸の絶対的な安定性を確保するため、徹底的な対策を講じています。
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⚡️ 電源の物理的分離:
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デジタル電源とアナログ電源の完全分離: やデジタル回路の電源ラインと、/アンプの電源ラインを物理的・電気的に完全に独立させます。
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多段レギュレーターと超低ノイズ: オーディオ回路への電源供給には、ノイズを極限まで抑えた超低ノイズレギュレーターを多段で配置し、 からのノイズを完全に除去します。
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🔌 基板とGNDの分離:
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GND(基準電位)の徹底管理: デジタル とアナログ の間にノイズを遮断するアイソレーターを設け、デジタルノイズがオーディオの基準電位を揺るがすことを防ぎます。
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3. 外付け ポタアン の信号分離技術

ホスト機器から電源を取る 外付けポタアンは、ノイズ流入に対抗するため、設計思想が二分されます。
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A. バスパワー駆動型 (廉価帯・小型): ホストの 電源に依存するため、ノイズ対策は電源の再生成(リジェネレーション)とフィルターに頼ります。
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B. バッテリー内蔵型 (ハイエンド): Chord 2などのハイエンド機はこちらの設計思想が主流です。
🔋 バッテリー内蔵ポタアンの哲学:外部電源からの絶対的分離 バッテリー内蔵型のポタアンは、ホスト機器からの ケーブルを「データ信号の伝送のみ」に使い、電源の供給は内部バッテリーで行います。これは、 と同様に、ノイズ源であるホスト機器の電源から 回路を完全に切り離すための科学的かつ哲学的な選択です。これにより、最もクリーンな時間軸の安定性(ジッターフリー)を確保します。
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アース(GND)の分離と強化: デジタルとアナログの を回路内で分離し、デジタルノイズがアナログ に影響しないように設計することで、基準電位の安定性を高めます。
III. 時間軸の番人:クロック回路と低ノイズ電源
ポータブル /アンプの心臓部は、時間軸の正確性を司るクロック回路です。その安定性を守るためには、徹底した低ノイズ電源が不可欠です。
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超低位相ノイズ発振器: 高精度な水晶発振器(オシレーター)は、わずかな電源ノイズでも振動が乱れ、位相ノイズ(ジッター)を発生させます。ハイエンド機は、フェムト秒クラスの超低位相ノイズ発振器を採用し、時間軸の揺らぎを最小限に抑えます。
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低ノイズレギュレーター: クロック回路への電源供給には、「超低ノイズレギュレーター(安定化電源)」を多段で配置し、電源ラインからクロック回路を電気的に厳重に分離します。
まとめ:時間軸の安定性は「分離」から始まる
ポータブルオーディオにおける高音質は、 チップの性能だけでは決まりません。ノイズに満ちた環境下で、ポタアンや DAP がいかに「GND ノイズ」と「電源ノイズ」からクロック(時間軸)とアナログ回路を電気的に分離し、安定した基準電位を保てるかという「分離の哲学」こそが、音像の安定性と背景の静寂性を決定づける鍵となります。ハイエンドポタアンのバッテリー内蔵は、この分離の哲学を具現化した設計なのです。
次回は、ポータブル環境の最後の課題、「無線伝送」に潜む時間軸の欠損とノイズの脅威を分析します。
次回、**Phase 4-5「Bluetooth コーデックの時間軸分析:無線伝送における圧縮と遅延の科学」**にご期待ください。